こんな時間になってしまった。
おれは何がしたいのか。
人生全体のスケールを使って。
昨晩、今後についてじっくり書きながら考えようとして、
うたた寝してしまった。
0時過ぎに起きて、考えながら、
他の人の生き方を本やブログやで見ながら、起きている。
自問してはっきりとして答えはなく、
また次の自問が現れる。
僕の夢はこうだ
65歳までに自転車世界一周をする。
山口にyogaスタジオを開く。
その活動を通して周りの人たちの元気のきっかけにをあげたい。
子供たちに夢を持って歩んでもらいたい。
そうすることを手段として自分が幸せでありたい。
それはそうなのだ。
それに向けてとてもゆっくりだけれど前進はしている。
迷い始めたわけではない。
経済的にどうやっていくのか不明だし、不安だ。
日本の社会の塊的な流れからは結構外れた。そう思う。
社会人の常識、日本の常識、それらから外れてると思う。
それだと言って迷い始めたわけではない。
前進をしてきて、ここでより精度の高い方向性を見出す必要性を
見出しているのだ。そうすることでしか自分が生まれ育った環境に
還元できない。
旅に出てから学んだ「自分に誠実に生きる」ということ。
それを日本に戻ってきてからも、実践してきている。
ただ、ここにきて
もっとその自分への誠実度の精度を上げたい感覚がある。
今、やりたいことがあって、それは連鎖的にいくつかある。
上記のとおり。
でも、それらをすべて貫く一本線が、軸が、まだ中空な感じなのだ。
自転車旅に出る前に比べればずいぶん生き方に軸は通っている。
そう思う。
けれどもその中身が詰まってない。というかとらえられていない。
大切なものが流れているはずなのだけれど、
それがよく見えていない。
これまで、人生の地図上に、行きたい方向に
目印のマチ針をそのときどきの興味や衝動で打ってきた。
それを目指しては次々に新しいマチバリを打って歩いてきた。
地図は一次元だと思っていたが、
自転車旅で2次元に可能性を見出し、平面にマチ針を打ち始めた。
yogaを通じて3次元(4次元も)可能性を見出し、空間にマチ針を打ち始めた。
そのアクションによって自分の性質が立体的に見えてきた。
今度はマチ針をもっとサクサクと打ちたいと思うようになった。
自分の中心から自然と発生する純粋な方向性をより精密にとらえられれば、
おのずとストレスフリーでマチ針が打てるのではないか。
そう思った。
自分は
何が好き?
何がしたい?
どうありたい?
今できることは何?
自分をわくわくさせたい。
自分は
世界一、何が好き?
世界一、何がしたい?
世界一、どうありたい?
で、今できることは?
自問自問。
少しずつ
自問自答にかわってきた。
世界一、○○○が好き!
世界一、○○○がしたい!
世界一、○○○でありたい!
がはっきりしたら、
今○○○ができる!
を
1年で1000時間積み上げる。
経験の学びを体系的に積み上げる。
その体系を誰かに提供できるクオリティで。
つまり、1日3時間○○をする。
それは個室的な3時間ではなく、何かをしながら
目の前のいろいろな人、分野、事象を○○に絡める
時間が3時間は持つということ。
僕は、○○を探している。
そして見つかったら、そりゃもう、
すべて回りだす!

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